Game2.0感想

【結論】

・意思決定民族だと思っていたけど、管理民族だった。

・管理も意思決定も両方好きなので、2つの民族を分離するのは待って貰えませんか?


詳しい内容は本と、Dr.Kの感想文(http://big2.dip.jp/cgi-bin/diary.cgi?num=20140705)に譲るとして、私の琴線に触れた箇所を引用する。


【内容】

リアルさはどこへ行った(p.26)

 「管理民族はそうではない(略)「勝利の為に最適な管理をする」のではなく管理そのものを楽しむ。(略)整合性の取れた世界は打てば響く。空虚ないかさまでないという感覚、それこそがリアルだ。」

Cookie Clicker(P.40)

 「管理のゲームはしばしば学習の性質を帯びる。ある概念やシステムがどのように動くのか、インプットに対してアウトプットを返すことで伝えるのだ。ただし、学ぶ内容は必ずしもストーリとは合致しない。(略)気の利かぬ大人はゲームを活用して子供に勉強を教えようとするが大抵失敗する。英単語を撃ち落としても上手くなるのは射撃だけである。」

Crusader Kings2(P.43)

「このゲームの大きな特徴は勝利条件が無い事だ。(略)重要なのはそれまでの過程で、中世の空気を吸い中世領主の生活を体験するのが目的だ。(略)即位当初は仁君だった王様が晩年は暴君になる例が多いのはなぜか、プレイヤーは自分自身の体験として知る事になる。」
「本作をいわゆる「ゲーム性」、つまり意志決定の文脈で捉えようとすると失敗する。(略)これは原因と結果を楽しむシミュレータである。」

管理と力の幻想(P.36)

「隣の国を取れば強くなる。強くなった軍団でまた別の国を取ればもっと強くなる。この因果関係を継続すれば最終的に無敵のブラックホールと化すのは避けられない。(略)整合性のある箱庭という管理民族の文法に従うなら多少の消化試合はエンドゲームコンテンツとして存在せざるを得ない。意志決定民族の要望を容れてAIによる包囲網を作るとか、最後の決戦でゲームを終えるといったアプローチは整合性を歪め管理民族を怒らせる」

【所感】

1.Regional Powerとシュバルツシルト問題

宇宙戦艦を設計建造するゲームとして、Regional Powerとシュバルツシルトの2つをプレイした。
Regional Powerはかれこれ15年以上プレイしているマイベストゲームの一つ。
シュバルツシルトは1回クリアしてやめてしまった。


 Regional Powerは 古典的な管理ゲームの最たるもの。内政の度合いが非常に高く、戦闘は簡素(戦闘での意志決定はほぼ0)。
中盤以降は消化試合になってしまうというのも、本書で述べられている通りの欠点である。


 一方のシュバルツシルトはこれと対照的に、「最後の決戦」でゲームを終えるアプローチを取っている。
アプローチ自体は否定しないが、実行の仕方が最悪であった。


 弱小国家からスタートし、やっとの思いで最新鋭戦艦で構成された艦隊を作り上げた。
さて、これから消化試合と思っていると、突如謎の宇宙生物クラーリンが出現した。


クラーリンの特徴は以下の通り。
1.建造した最高レベルの戦艦では、かすり傷一つつけられない
2.手間暇掛けてインフラを整備した星が、占領されると永久に使用不能
3.数ターンすると、クラーリンに対抗可能な戦艦の設計図が(シナリオの都合で)もたらされる。


最悪だ!民族とか関係なく怒るのでは無いだろうか。
結局クリアはしたけれど、二度とプレイすることはありませんでした。


2.管理民族ハドリアヌス

 皇帝ハドリアヌスは、拡大しすぎたローマ帝国が防衛に必要な軍事費に耐えられないと判断し、
一部の領土を放棄し、外交政策を攻勢から守勢に転換することで、帝国の安定化を図った人物である。

 攻勢では、自らの好きなタイミングで兵を集めれば良いが、守勢の場合は相手に合わせなければ成らず、
効率的な防衛ラインが必要となる。


 防衛ラインは外敵を食い止める防壁と、部隊を高速で展開するローマ街道で構成され、少ない兵力で構成された。
また、皇帝が現地にいなくても発動可能な、いわば自動防衛システムとしての側面もあった。
28個軍団約30万人でヨーロッパ+トルコ+エジプト辺りまで防衛していたのだから、非常に効率的なシステムだ。


 防衛ラインの構築の為に、ハドリアヌスは在位期間の殆どを使って、ローマ帝国の端から端まで出張していた。
現代ならば、偉大なサプライチェーンマネージャ、


 GAME2.0的に言えば、究極の管理民族と言える。軍人民族の元老院と仲が悪いのも当然である。

神保町へ

 M4シャーマンの各工場ごとの違いを扱った本は見つからず(あるかどうかも不明)。代わりに、船とエンジンについての本を購入。
 yumeno先生は参考資料をお買い上げ。横並びの復座機体として、F-111はどうでしょうか。

秋葉へ

 Dr.K氏が次の日に出場するレースの部品をご購入。

大崎へ

 いつもの店で宴会。GAME2.0を肴に、密度の濃い談義が出来たと思います。

語録・メモ

単純作業も楽しい。社会の歯車になりたくないという台詞があるが、歯車をきれいに回すのは以外と楽しい。


STGは爆発がしっかりしていれば、他が多少よれよれしていても面白い。逆に爆発がしょぼいのは・・・。

次に講演と微分解析機動体展示を見る。

計算尺の生まれた歴史的背景と使い方を初めてきちんと学んだ

大航海時代のヨーロッパで、航路計算と金融計算を目的に、かけ算の需要が高まる。
しかし、ヨーロッパでは算盤が一般的ではなかったため、かけ算を足し算で処理できる、指数変換が大いに役立つ。
指数変換の方法として、指数変換テーブルが乗っている本を利用する手が一つ。科学計算はこれで良い。
しかし、工学計算の用途としては、嵩張るのと、精度は有効数字3桁程度で十分。
そこで、2つの定規を加算機として使用することで簡略化することを考えた。これが計算尺

計算尺の利点:単位の異なる数(mと尺など)同士のかけ算が簡単(目盛りに書いておけばOK)。
もっとも古いものとして、統計計算が可能な計算尺があった。


   連立方程式を解く機械。どこかでみたと思ったら、ロ技研の後輩作でした。

まずはジャブ。常設展示を見る。

電卓+算盤の意義について。

算盤部分は、電卓の検算や、メモリとして使う事が多かった模様(ソースは母)。
という話をしていると、そもそも、算盤アーキテクチャにおいては、珠=メモリであり、人間の脳がアキュムレータなのでは
というツッコミが。仰るとおりで。

JUKIの事務処理用と思われる計算機。

昔キーボードだけは持っていた(id:Tnt:20070919p2)が、初めて本体をみた。
本体に3.5inch、外付けに8inchと5inchのコンボドライブという最強マシン。

書評:日本コンピュータ発達史

日本コンピューター発達史

日本コンピューター発達史

 1947年から1978年までの日本における事務用コンピュータ導入の課程を記述した本。本書は社内稟議・購入から搬入・立ち上げ・運用までをコンピュータを使う立場から生々しく書かれている。当時の様々な制約の中でシステムを構築していった様子が非常に面白い。制約条件の中でベターな回答を見つける、ロボコンやゲームと同じ知的興奮がある。インターフェース好きかつ古いコンピュータ萌えはマスト購入。


 本書はコンピュータ本体よりも、周辺のデータ伝送システム、遠隔入出力端末機の記述が多く、特に端末機の使いやすさ、故障しづらさについて述べてある。人・コンピュータのインタフェースがボトルネックになるのは今も昔も変わらないが、その割に軽視されていたのも昔からのようだ。

 執筆者は全社を電信回線で繋いで手作業事務を自動化するシステムを我流で考えた(1954年)。その際に自動化の効果を出すためには、本社にコンピュータ本体を入れただけではダメで、支社に配置する遠隔端末機器群の開発が重要であることを喝破していた。

 遠隔端末機器群は、工場の日報・月報等のデータを入力し、電信回線で本社に送信するための機器であるが、日本には一つも存在しなかったため、様々なメーカと一から開発した。一般社員も容易に使用でき、安価で、エラーが起こりにくいものを開発するのには相当に大変だったようである。

 端末開発の中で、約120種という限られた文字セットに対して、カタカナ50、漢字75、アルファベットは0という思い切った割り当てをしたエピソードは興味深い。電信テープは6単位である。おそらく2段シフトのため、128文字弱までしか文字の種類を使用できない。何も考えなければ、カタカナ+ローマ字という選択になったと思われる。特に当時は、漢字を廃止して日本語をすべてローマ字化しよう、という運動に勢いがあった。それに対して筆者は、漢字+カナの文字セットにすることで、

1.分かち書きが要らなくなることで通信コストが下がる
2.カナのみの文章より、短時間で意味が理解できる
というメリットがあると考え、上記の文字セットとした。その結果、通信費と手数の節約になり、しかも見やすく実効があることが
定量的に判断された。


もう一つのエピソードとして、


IDP(Integrated Data Processing)ブームが紹介されていた。
アメリカで運用されていたIDPというシステムを、日本では言葉の響きだけでありがたがり、
「これからはIDPだ」「IDPなくして経営の合理化なし」とかいう輩が跋扈したことに苦言を呈している。


IDPのIntegratedを様々なメーカーの計算機械を統合運用する、非常に高度なシステムと勘違いした。
米国で実際に運用されていたIDPは、一人目の人がタイプライターで客の住所・名前を入力すると、データテープで出力される。二人目の人は一人目が出力したテープを自分のタイプライターに読み込ませることで客の住所・名前は自動でタイプされ、自分は挨拶文など追記する文章を打ち込めば良い、という入力作業を省力化するだけのシステムだった。


個人的には、実際のIDPの方が現実に即した面白いシステムだと思った。


「これからはIDPだ」「IDPなくして・・・」のIDPの部分に別の単語をいれると今でも通用する話。