書評:日本コンピュータ発達史

日本コンピューター発達史

日本コンピューター発達史

 1947年から1978年までの日本における事務用コンピュータ導入の課程を記述した本。本書は社内稟議・購入から搬入・立ち上げ・運用までをコンピュータを使う立場から生々しく書かれている。当時の様々な制約の中でシステムを構築していった様子が非常に面白い。制約条件の中でベターな回答を見つける、ロボコンやゲームと同じ知的興奮がある。インターフェース好きかつ古いコンピュータ萌えはマスト購入。


 本書はコンピュータ本体よりも、周辺のデータ伝送システム、遠隔入出力端末機の記述が多く、特に端末機の使いやすさ、故障しづらさについて述べてある。人・コンピュータのインタフェースがボトルネックになるのは今も昔も変わらないが、その割に軽視されていたのも昔からのようだ。

 執筆者は全社を電信回線で繋いで手作業事務を自動化するシステムを我流で考えた(1954年)。その際に自動化の効果を出すためには、本社にコンピュータ本体を入れただけではダメで、支社に配置する遠隔端末機器群の開発が重要であることを喝破していた。

 遠隔端末機器群は、工場の日報・月報等のデータを入力し、電信回線で本社に送信するための機器であるが、日本には一つも存在しなかったため、様々なメーカと一から開発した。一般社員も容易に使用でき、安価で、エラーが起こりにくいものを開発するのには相当に大変だったようである。

 端末開発の中で、約120種という限られた文字セットに対して、カタカナ50、漢字75、アルファベットは0という思い切った割り当てをしたエピソードは興味深い。電信テープは6単位である。おそらく2段シフトのため、128文字弱までしか文字の種類を使用できない。何も考えなければ、カタカナ+ローマ字という選択になったと思われる。特に当時は、漢字を廃止して日本語をすべてローマ字化しよう、という運動に勢いがあった。それに対して筆者は、漢字+カナの文字セットにすることで、

1.分かち書きが要らなくなることで通信コストが下がる
2.カナのみの文章より、短時間で意味が理解できる
というメリットがあると考え、上記の文字セットとした。その結果、通信費と手数の節約になり、しかも見やすく実効があることが
定量的に判断された。


もう一つのエピソードとして、


IDP(Integrated Data Processing)ブームが紹介されていた。
アメリカで運用されていたIDPというシステムを、日本では言葉の響きだけでありがたがり、
「これからはIDPだ」「IDPなくして経営の合理化なし」とかいう輩が跋扈したことに苦言を呈している。


IDPのIntegratedを様々なメーカーの計算機械を統合運用する、非常に高度なシステムと勘違いした。
米国で実際に運用されていたIDPは、一人目の人がタイプライターで客の住所・名前を入力すると、データテープで出力される。二人目の人は一人目が出力したテープを自分のタイプライターに読み込ませることで客の住所・名前は自動でタイプされ、自分は挨拶文など追記する文章を打ち込めば良い、という入力作業を省力化するだけのシステムだった。


個人的には、実際のIDPの方が現実に即した面白いシステムだと思った。


「これからはIDPだ」「IDPなくして・・・」のIDPの部分に別の単語をいれると今でも通用する話。